瓦と私①

ハイ皆さんこんにちわ。
いつの間にか人生の半分約三十年を瓦と一緒に過ごしてきた林です。
面倒な説明は省きますが何と家内と一緒になっても三十年以上経つんですね~
例の疫病が長引くせいで不本意ながら時間があったりするので徒然なるままに瓦の事を謳ってみたいと思い筆を執りました。
何回かのシリーズにするつもりです。
第一回目はザックリと北海道の瓦事始めという事で、、では・・・
道内には瓦屋根が少ないので皆さんあまり瓦に馴染みはないと思います。
しかしながら北海道開拓の頃、今から150年も前から瓦は道内に存在していました。
それは当時ニシン漁で沸く北前船の船主が地元の瓦を北海道まで運び自身の鰊御殿や石蔵の屋根に葺いたためです。
もともと瓦は地場で焼かれ地場で消費する地産地消の最たるもので、瓦の本場でさえ県をまたげば色や寸法が変わり、瓦職人でさえ隣の瓦の事は分からないのが普通でした。正に『舎人は何をする人ぞ』。
しかし、北前船という流通手段を得た瓦は自由の翼を持ったのです!
その結果、例えば小樽には本州各産地の瓦が交じって存在するという、他に類を見ない独特の景観が形成されました。
これは瓦の過疎の地、北海道で古くから瓦に携わってきた私だから気づく事の出来た極めて貴重な事象と言えます。
調べてみると道内の瓦について研究はほぼ成されておらず、この事象をもとに掘り下げれば有意義な研究課題になり得るのは明白でした。
私は何時かこの辺の研究が成される事を切望するようになりましたが、この出発点がなければ道内瓦の学術研究も何も始まらないのも自明の理です。
きっと北海道に残る瓦たちが、私を使って何か訴えようとしているように思えてならないのです・・・
※下の写真を見ると色が違う瓦がありますね。
 産地の違う他の屋根から持って来て修繕された瓦です
              (次号に続く)

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