
瓦と枝垂れ桜

先日、打ち合わせを終えふと足を止めた目の前にそれはありました。
もうすっかり忘れていましたが、多分20年以上前に僕が葺いた瓦屋根です。
場所はススキノのはずれ、中島公園の近くです。
当時、周りはもっと見通しがよく西側はだだっ広い空き地でしたが今はすっかりビルに囲まれています。
というか、いま私が出てきたホテルが立ったと言う事か!
あれから幾度も台風や地震に見舞われているのに、メンテナンスした記憶もないし、他の人がメンテナンスした形跡もない。
皆さんにお知らせしたいのはこうした既成事実の存在で、北海道と言う寒冷地で培われた現代工法と熊本あたりで古くから面々と続く古式ゆかしい瓦葺き工法とは一緒ではない事を切にお伝えしたかったのです。
なんとまぁ珍しい!
写真は江差町の老舗菓子補前、ショーウィンドウに飾られた鬼瓦です。
博物館や郷土資料館ではありません。
見ての通り、鬼瓦の正面にはいろいろな紋様がありその一つ一つに意味がありますが、それを説明しています。
この中で鬼正面両側の頬っぺた部分にハートマークのような彫り物、『猪の目』というのですね。
数年前に調べた事があるのですが分からずじまいでそのまま忘れていました。
ありがとうございます、勉強になりました。(汗)
またもや海のすぐ近くでの瓦葺き。
一般的に平板と呼ばれるシスティマチックな瓦仕様。
潮風に吹かれ潮の香りを嗅ぎながら感じるのは屋根材としての絶大なる瓦の存在意義。
特にこの瓦は適度な重さによる重厚感と現代の住宅にマッチしたデザイン性を併せ持つ。
熊本の震災などで、よく被災した瓦屋根が映し出されるが、それは江戸時代から面々と続く古式ゆかしい施工方法と、現在の建築基準法施行前の古い建物だ。
根本的に今の建物とはまったくの別物・・・
鉄板の屋根材で似たようなものがあるが、耐久性や室内の快適性において陶器瓦との機能は雲泥の差で、見た目のドッシリとした安心感が大きく違う。
本物とフェイク
もし玉石混交の現代社会の中でフェイクが生き残るとすれば
人間社会は間違った進化を遂げているのではないだろうか。
例えば今がどんなに苦しくても環境破壊の選択肢を選んではいけない様に・・・
潮風に吹かれながら仕事をしてきました。
北海道には瓦屋根の建物が多くないのは周知のとおりですが、海のすぐ近くに見つける事は比較的容易です。
それは瓦が潮風の塩害による耐性に優れているからです。
例えばトタン屋根だと10年持たずに腐食するのに比べ、瓦は100年経っても未だ現役で働いているものが多々あります。
だからこうして海の近くで瓦を葺くと、なんだかとても誇らしく感じたりするのですよ。
真剣に油絵を描いていた時代があります。
美術学校の仲間と真剣に絵について議論しました。
毎日毎日顔をあわせると、互いに自分の思い描く理想について語り合い、感情が高ぶり喧嘩もしたし涙も流しました。
それは絵画のみに留まらず音楽や舞台芸術など広範囲に亘り、当たり前ですが宗教や哲学にも及びました。
結果、何の衒いもなく、日々平々凡々と暮らしている人々の方が芸術家よりずっと芸術家に見えました。
そして様々なプロセスを辿りながら表現手段は変容し、僕は今、屋根に瓦を葺いています。
僕にとって瓦を葺くという行為は辿り着いた一つの結論なのです。
現在の瓦は数パターンの規格から成り立っていますが、古い屋根に葺かれた瓦や他国製の瓦などどの規格にも合わない場合は特注生産しなければなりません。
しかし本来創るべき 現物がない場合には図面を起こす必要があり、 さらに社寺仏閣のように屋根に反り起りがあると、原寸大の図を描き詳細の納まりを確認した上でまた図面におとすといった作業が必要となったりします。
正直かなり面倒な作業ではありますが、出来合いのものを平々凡々と施工するのとは違って、芸術性の高い仕事と自負しています。
これぞ弊社の真骨頂!!
そんな訳で、私が現場に出ていないからと言って決してさぼっているわけではないのです。(笑)
個人的には丸見えの屋根よりも風景に溶け込んだ、立木に見え隠れする瓦屋根が好みです。
なんて言うか、ほんの少し異国情緒を感じさせてくれます。
この瓦屋根群は弊社が15年ほど前に手掛けた、そう古くない瓦屋根群ですが、これからもっともっと周りに溶け込み、味わい深さが増す事でしょう。
そう、この仲睦まじいブロンズ像のように・・・