瓦と私④

平成22年に国際交流基金文化事業の一環として、現ロシアサハリン州に『樺太時代の史跡保存事業に係る調査』として同行させて頂いた事は、私にとって筆舌に尽くしがたい出来事でした。
そこでまず驚いたのは、日本統治時代には其処かしこに瓦屋根の建物が存在していた事実でした。
当時の写真を見ると、とても平穏な日常を送る日本の人々が、瓦屋根の建物とともに映し出されていました。
中でも今もサハリン州立博物館として存在する、元々は樺太庁博物館を訪れた際、その屋根にS型瓦と呼ばれる洋風の瓦が葺かれている事に驚きました。
『えっ、この瓦この当時あったの???』
私を含め皆さんがイメージする昔の瓦は、お寺やお城に葺かれた純和風のものが大半のはずです。
しかしながら、添付写真の通りヨーロッパ基調の洋風の瓦が屋根に載っていたのです。
帰国後調べてみると、このS型瓦は樺太庁博物館が建立された前年に開発されたばかりの、当時としては最先端の瓦だったのですよ。
この瓦は今でもスペイン瓦として、洒落た建物に人気の高い瓦ですが、80年も前に、それも開発されたばかりの瓦を採用した政府担当部署の英断にもとても驚きました。
さらに専門的な話になりますが、この瓦の役物や納め方等等、色々な発見があり、それはもう楽しかったですね。
私にとって、多少なりともこの事業の趣旨に色を添えられた、とても誇らしく有意義な調査となりました。
 

瓦と私③

そうですね~、長いこと瓦に携わっているとちょっと変わった案件もありましたね。
稚内ではさる陶芸家が、長野県で購入した武家屋敷を移築しその屋根に瓦を葺きました。
だだっ広い草原の中の一軒家で長野から来ている大工さんや陶芸教室の生徒さん達と、近所の漁師のおいちゃんおばちゃんが持ってくる魚を肴に、毎晩キャンプファイヤーを囲んで宴会だったりしました。(私はほぼ下戸だからちょっと迷惑)
襟裳ではとても徳の高い住職が居られる寺の本堂に瓦を葺きました。
(この方は本物の霊感があるのです!)
ここの檀家さんは皆住職を慕っており仲良しで毎日身に余る食事をごちそうになったりしました。
あと何故か温泉には瓦がつき物であちらこちら、トムラウシ温泉の泉質に感嘆したり。
イギリスはコッツウォルズの家や石屋製菓のチョコレートファクトリーではハンドメイドのイギリス瓦を葺き、札幌市の瀋陽庭園には紫禁城と同じ中国瓦を葺いたり、スウェーデンやスペイン、フランスの瓦、大きなシャチホコの乘った小樽市博物館などなど・・・
そんな中でひと際印象深いのは博物館網走監獄の教誨堂に葺かれた瓦に携わることが出来た事でしょうか。
私はこの瓦を初めて見た時、独特の風貌や肌触り感など、今まで多様な産地の瓦を見てきた私が経験した事がないものでした。
その私の経験から、色々な角度からの考察により当時囚人が焼いた瓦である事をほぼ断定する事が出来たのは大きな収穫でした。
2016年この建物は国の重要文化財に指定されましたが、私が瓦の過疎の地、北海道で瓦職人をやってきた事が報われた出来事でもあったのです。
 

瓦と私②

前回の続きです。
たとえば、瓦には窯元が判別できる印が刻印されています。(写真参照)
この窯印を辿れば、建主の郷里や北前船での流通経路、時代背景など様々な事が見えてきます。
もうそれだけで研究者の探求心を刺激しますね。
ただこれは屋根に直接上がらなければ確認できない事がほとんどなので、興味を持った私だけが知りえる情報なわけです。
逆に言えばこの情報がなければ何も始まらないと言えます。
惜しむらくはスマホを持つ前には簡単に撮影する事が出来ず取り壊された建物が多々あることですが・・・
当時、ニシン御殿の網元の郷里には沢山の窯元があり、その窯元を判別する窯印シートが多数存在します。(一部を参考に添付)
もし、あなたが何処ぞの軒下で古瓦を見つけ、その瓦に道内でまだ確認されていない窯印があったとすれば、それだけでとても興味深い発見となるのです。
さあ、今すぐあなたの周りの瓦をチェックして、あなたも今日から瓦の専門家になろう!!!笑

瓦と私①

ハイ皆さんこんにちわ。
いつの間にか人生の半分約三十年を瓦と一緒に過ごしてきた林です。
面倒な説明は省きますが何と家内と一緒になっても三十年以上経つんですね~
例の疫病が長引くせいで不本意ながら時間があったりするので徒然なるままに瓦の事を謳ってみたいと思い筆を執りました。
何回かのシリーズにするつもりです。
第一回目はザックリと北海道の瓦事始めという事で、、では・・・
道内には瓦屋根が少ないので皆さんあまり瓦に馴染みはないと思います。
しかしながら北海道開拓の頃、今から150年も前から瓦は道内に存在していました。
それは当時ニシン漁で沸く北前船の船主が地元の瓦を北海道まで運び自身の鰊御殿や石蔵の屋根に葺いたためです。
もともと瓦は地場で焼かれ地場で消費する地産地消の最たるもので、瓦の本場でさえ県をまたげば色や寸法が変わり、瓦職人でさえ隣の瓦の事は分からないのが普通でした。正に『舎人は何をする人ぞ』。
しかし、北前船という流通手段を得た瓦は自由の翼を持ったのです!
その結果、例えば小樽には本州各産地の瓦が交じって存在するという、他に類を見ない独特の景観が形成されました。
これは瓦の過疎の地、北海道で古くから瓦に携わってきた私だから気づく事の出来た極めて貴重な事象と言えます。
調べてみると道内の瓦について研究はほぼ成されておらず、この事象をもとに掘り下げれば有意義な研究課題になり得るのは明白でした。
私は何時かこの辺の研究が成される事を切望するようになりましたが、この出発点がなければ道内瓦の学術研究も何も始まらないのも自明の理です。
きっと北海道に残る瓦たちが、私を使って何か訴えようとしているように思えてならないのです・・・
※下の写真を見ると色が違う瓦がありますね。
 産地の違う他の屋根から持って来て修繕された瓦です
              (次号に続く)
アウトドアの画像のようです

瓦と枝垂れ桜

枝垂れ桜が美しい岩見沢のお寺さん。
この境内を設計された方はその翌年、岩見沢市議になられ現在も活躍していますが、当時からとても清冽な印象のある方で、企画より意気投合しとても楽しく仕事をさせて頂いた覚えがあります。
このたび8年ぶりにメンテに訪れ、その方にお会いしましたが、真摯で清冽な印象は相変わらずで、このような人物を議員に持つ岩見沢市民が、心底羨ましく感じました。
政治家はすべからく基本このような人物が生業とすべきなのだと思いますね。
人間長く生きていると様々な人物に出会いますね。
なんかやな印象の人だなぁと思っていたら、後々詐欺で逮捕されていたとか、自称高潔な孤高の侍とうたっていながらその実ちいさな権力をたてに振る悪代官崩れとか。
口の上手いだけのこのような人物は出来る限り政治家にはならないでほしいですね。
あっ、あと瓦職人にいてもやだなあ。
(この際自分の事は棚に置きます 笑)

ゆるぎない瓦屋根

先日、打ち合わせを終えふと足を止めた目の前にそれはありました。
もうすっかり忘れていましたが、多分20年以上前に僕が葺いた瓦屋根です。

場所はススキノのはずれ、中島公園の近くです。

当時、周りはもっと見通しがよく西側はだだっ広い空き地でしたが今はすっかりビルに囲まれています。
というか、いま私が出てきたホテルが立ったと言う事か!
あれから幾度も台風や地震に見舞われているのに、メンテナンスした記憶もないし、他の人がメンテナンスした形跡もない。

皆さんにお知らせしたいのはこうした既成事実の存在で、北海道と言う寒冷地で培われた現代工法と熊本あたりで古くから面々と続く古式ゆかしい瓦葺き工法とは一緒ではない事を切にお伝えしたかったのです。

 

ショーウィンドウの鬼瓦

なんとまぁ珍しい!

写真は江差町の老舗菓子補前、ショーウィンドウに飾られた鬼瓦です。

博物館や郷土資料館ではありません。

見ての通り、鬼瓦の正面にはいろいろな紋様がありその一つ一つに意味がありますが、それを説明しています。

この中で鬼正面両側の頬っぺた部分にハートマークのような彫り物、『猪の目』というのですね。

数年前に調べた事があるのですが分からずじまいでそのまま忘れていました。

ありがとうございます、勉強になりました。(汗)

 

 

瓦屋根の存在意義

またもや海のすぐ近くでの瓦葺き。

一般的に平板と呼ばれるシスティマチックな瓦仕様。
潮風に吹かれ潮の香りを嗅ぎながら感じるのは屋根材としての絶大なる瓦の存在意義。
特にこの瓦は適度な重さによる重厚感と現代の住宅にマッチしたデザイン性を併せ持つ。
熊本の震災などで、よく被災した瓦屋根が映し出されるが、それは江戸時代から面々と続く古式ゆかしい施工方法と、現在の建築基準法施行前の古い建物だ。

根本的に今の建物とはまったくの別物・・・

鉄板の屋根材で似たようなものがあるが、耐久性や室内の快適性において陶器瓦との機能は雲泥の差で、見た目のドッシリとした安心感が大きく違う。

本物とフェイク

もし玉石混交の現代社会の中でフェイクが生き残るとすれば
人間社会は間違った進化を遂げているのではないだろうか。
例えば今がどんなに苦しくても環境破壊の選択肢を選んではいけない様に・・・

瓦と海

潮風に吹かれながら仕事をしてきました。

北海道には瓦屋根の建物が多くないのは周知のとおりですが、海のすぐ近くに見つける事は比較的容易です。

それは瓦が潮風の塩害による耐性に優れているからです。

例えばトタン屋根だと10年持たずに腐食するのに比べ、瓦は100年経っても未だ現役で働いているものが多々あります。

だからこうして海の近くで瓦を葺くと、なんだかとても誇らしく感じたりするのですよ。

芸術としての瓦もしくはそうじゃない瓦

真剣に油絵を描いていた時代があります。

美術学校の仲間と真剣に絵について議論しました。

毎日毎日顔をあわせると、互いに自分の思い描く理想について語り合い、感情が高ぶり喧嘩もしたし涙も流しました。

それは絵画のみに留まらず音楽や舞台芸術など広範囲に亘り、当たり前ですが宗教や哲学にも及びました。

結果、何の衒いもなく、日々平々凡々と暮らしている人々の方が芸術家よりずっと芸術家に見えました。

そして様々なプロセスを辿りながら表現手段は変容し、僕は今、屋根に瓦を葺いています。

僕にとって瓦を葺くという行為は辿り着いた一つの結論なのです。